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客観的な幸せを追い求めるよりも、主観的な幸せを追い続けた方が良いのは当たり前だろ!

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いま、27才で今年の5月に28才になるんだけど、年を重ねるごとに年齢を気にしなくなっている自分がいる。例えば19才の時は「これが10代最後の年だな~」とか考えたり、20才の時は「いよいよ20代に突入するぞ~!」とか考えて、やたらと節目を意識していた気がします。


25才とか26才とかになった時は、「20代後半に入ったなぁ~」って少しは考えたけど、もうすぐ28才になる自分としては「あと2、3年で30代になるな~」って思うはずなんですが、最近はあまり年齢を気にしなくなりました。


元々、自分がいま何才とか、「何才だからこうあるべき」とかそこまで、意識したことはありませんでした。なぜなら、毎日を全力で学んだり、行動したり、楽しんだり、笑ったり、大切な事をちゃんと守っていれば、人は自然と成長していけると、無意識レベルで思っていたからです。


元々、あまり年齢を意識していなかった自分が28才を目の前にして、さらに日に日に自分の年がどうでも良くなっていってます。笑


「何才だからこうあるべき」っていう考え方は、大人としてのモラルとか責任とかの視点で見れば大切な事だと思います。ただ、年齢のせいにして、本当はこうしたいっていう願望があるのに、周りの目とか世間体を意識して、自分のやりたい事に蓋をする生き方は、最もつまらない生き方だなと思います。


周りに迷惑をかけない事であれば、年齢を問わず、やりたい事には大いに挑戦していくべきだと思っています。それが経済的な成功を目指す挑戦であるならば、なおさら何才からでも挑戦するべきでしょう。なぜなら、お金を稼ぐ事は一生をかけて必要になる事だからです。


もちろん、世間体を気にする思考も分からなくはないですが、世間体と自分の本心を天秤(てんびん)に掛けたときに、どちらが重量感があるかっていうのを、比べたら僕は考えるまでもなく、自分の本心を選びます。


自分は学生時代から、あまり周りの目を気にしない方の性格だったので、当時は空気が読めない発言や行動もあったかもしれません。しかし、その時の経験といったら大げさですが、27才のいま現在、思うのは、やはり周りの目を気にしながら生きるのは、少々のメリットはあってもデメリットの方が多いと確信しております。


空気が読めない発言や行動と書きましたが、もちろん友達はたくさんいましたし、親友とよべる程の友達は5人以下に収まるかもしれませんが、僕のKYな発言にも笑ってくれたり、時には注意を促してくれたりして、軌道修正する事で自分を正した部分もあります。笑


他人の目を気にしないといっても、他人の心を尊重しない訳ではなく、あくまでも自分が本当にしたい事に挑戦する時は、周りがどう考えるかは関係ない!って話ですね。詐欺とかに引っかからないように注意してくれる仲間は大切にしないといけませんが。笑


そんなこんなで、とにかく年齢を気にしたり、年相応の発言や行動を必要以上に意識することは無いと考えております。


20代の前半もそうですが、20代後半になると、前半のとき以上に、学生時代の同級生が結婚したり、女子であれば子どもを産んだり、また男であれば、仕事である程度、成功しているという噂が入ってくる事もあります。仕事の成功に関しては1人、2人くらいですが。笑


学生時代の同級生が、何かしらの変化(主に結婚、あるいは親になる)があった情報が耳に入ると、「おー、ついにあいつも結婚したのかー。」と少し複雑な気分にもなりますが、自分の場合はそれはほんの一瞬なんです。笑


結婚したり、親になったという情報は、本人にとっては人生の中で、トップ5に入るほどの大きな変化かもしれないけど、僕はそういう他人の一見、幸せに見える状況を、あくまでも冷静に分析します。笑


例えば、結婚にしても結婚した2人が本当に愛し合っている仲で結婚したのか、半分遊び相手だった仲だったのが、できちゃった婚になり、やむを得ず結婚したのか、本人にしか分からないストーリーがあると思うので、傍から幸せに見える状況が必ずしも本当に幸せなのかどうかは、分からないと分析しています。


いずれ結婚しようと決めていた恋人同士が結婚したとしても、実は経済的にとても苦しい状況で、生活している夫婦もたくさんいると思います。結婚した最初の3年くらいは、幸せだったとしても、本当の意味で相性が良くないと、その内、いっしょにいる時間に違和感を感じてきて、一人の時間が欲しくなって、すれ違う事が増えるかもしれません。


まあ結婚について語るつもりは無かったんですが、とにかく、幸せなのかどうか、それが正しかったのかどうかは、当人にしか分からない事なので、いくらそういう情報が自分に入ってきても、変にあせったり、劣等感を感じることはないです。


逆にずっと一人でいる人が、傍から見るととても寂しい人間のように映るかもしれないが、これも先ほどと同様にその人間が幸せかどうかは、当人にしか分からないという事ですね。


客観的な幸せばかり追いかけている人間にとっては、一見、羨ましく思えるような周りの変化に対して、一々、心を揺さぶらる事になりますが、主観的な幸せを追いかけている人にとっては、客観的な華やかさとか世間的な幸せはどうでも良いんです。笑


最低限の周りへの心配りさえ忘れなければ、人は、主観的な幸せを追いかけ続けることが最も幸せなんじゃなかろうかと思います。主観的な意思や願望を大切にし続けることによって、その延長線上に結婚や、親になるという選択肢があっても良いと思います。


客観的な幸せを追い続けることは、自分にはあまり理解できませんが、とても窮屈な生き方になる気がします。人の脳を洗脳するのは、メディアの情報やCM、雑誌やビルや電車の広告など色々ありますが、IQが低い人間ほど、情報に洗脳されやすくなるそうです。


客観的な幸せを追い求めるのは、間違いなくこれまでの人生の中で浴びてきた何かしらの情報に洗脳されている可能性がありますが、主観的な幸せだけを追い続けるためには、まずは洗脳を解く必要があるみたいですね。


まあ長くなりましたが、28才になっても、僕はやりたい事を全力でやり続けていきたいと思います!


本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。