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脳の神経ネットワークを同時発火させたい

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人間を含めて、生物は生きるために必要な「最適化」よりも「遊び」によって進化してきた!?

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ブログ書く時間とかが、あまり無かったとしても、文字数とか気にせずに書いてれば、ある程度は一つの形になるんじゃないかなと思うから、できるだけ書いていこうかな。


ブログは読者の方の目線を気にしながら書くブログもあれば、自分のひとり言をひたすら書いていくブログもあるから、その日の気分によって変えていければいいんじゃないかな。


何事も義務になったら終わりだと思うから、いつもいつでもフルパワーで走らなければいけないなんて強迫観念に囚われずに、最小限の力で少しだけ歩いてみよう。くらいの気持ちで物事に取り組む日があっても良いと思う。笑



今日は少しだけ、文章を書いてみようという気持ちでブログを書きだしたら、少しづつ気分が乗ってきて、自ずと書きたい事も頭の中に浮かんできたりするので、エネルギー的にみても効率的な方法かな~とか思ったり。


つくづく思うのが、人生って何だかんだいって「遊び」だよな~って思います。色々な義務にとらわれる事もあるだろうけど、元を辿るとこれって別に無くても良くない?って思うようなモノもたくさんあります。


夜はぐっすり快適に眠り、栄養バランスの良いご飯を1日2~3食ちゃんと食べる事ができて、健康を保つ程度の軽い運動をする。


最低限生きていくためのお金を稼ぐ仕事ができて、最低でも2~3日のサイクルは回せるくらいの衣服があり、雨風しのげる家があり、トイレやお風呂や台所や洗濯機や冷蔵庫があり、おまけに自分の部屋に本やPCやスマホまであれば、もはや人生は「遊び」なんだな。と考える。



話がいきなり結論に至った感じがして、良く意味が分からないかもしれないけど、とにかく、人は最低限の生活さえできれば、余裕がある時間やお金やエネルギーは全て遊びのためにあるんだな。と考えたのです。


もちろん遊びではなく、大きな夢や目標に向かって、日々努力している人もたくさんいると思います。だけど、大局的な視点で見れば、それも含めて全部「遊び」なんじゃないかなと思います。



昔、聞いたことがあるうる覚えの話なんだけど、生物の進化で魚などの魚類がもの凄い長い年月をかけて両生類や爬虫類に変わったのは、どこかのタイミングで、本来は水の中でしか生活できないはずの魚類が陸に上がり、違う生物に変わっていったからです。


ある専門家によると、これらの行動は紛れもなく「遊び」なんだそうです。なぜなら、魚は水の中にずっとい続けた方が、居心地が良かったはずですし、快適に生き続けることができたはずです。


にも関わらず、どこかのタイミングで魚類が進化して、長い年月をかけて両生類や爬虫類に変わり、陸上に上がりはじめました。これは、水の中にい続けるという魚類にとっての「最適化」の外側にあるので、魚類にとっての「遊び」という事になるそうです。



いやはや驚きですね。僕も一番最初に聞いたときは、何だかとても面白い現象だな~っと思いました。話が遠回りしましたが、人間にもこれと同じようなケースがあるのかなと予測しました。


生きるために必要最低限の行動をする事が「最適化」になるのであれば、生きるために一見、直接は関係がないように見える行動こそ、「遊び」という定義になるそうです。



そして、さらに驚く事に人間をはじめとする生物の歴史を振りかえると生物は皆、「最適化」ではなく「遊び」によって進化してきたと言われています。これは生物にとって「遊び」がどれだけ重要かという事を物語っています。


もちろん、人間の場合はあまりにも遊んでばかりだと良くないイメージがありますが、生きるために必要最低限のお金を稼ぐ仕事さえしていれば、人間は大いに遊んでいいと思うんですね。



むしろ遊ぶ事は、良くないと決めつけて、家にいる時間や会社が休みの日にまで、会社の仕事を家に持ち込んで、ひたすら仕事だけに打ち込むような人は、一見とても努力しているように見れますが、いつもいつでも仕事ばかりしているよな人間は生物学的には「進化しない」という結論になります。


文章が長くなりましたが、いかに人間はもっと遊んだ方が良いかという事を物語っています。最低限の仕事さえできれば、残りの時間やエネルギーは遊びに注ぐ。まさか生物が遊びによって進化してきたとは、思えないですね。



だからといって、自分を必要以上に肯定する気はさらさら無いんだけど、それでもこれまで以上に「遊び」というものを意識しようと思う。何かに煮詰まったときに無理に物事を考えたり、悩んだりせずに、やるべき事をやったら思いきり「遊ぼう」と思う。


本日も最後まで、読んでくださり、ありがとうございます。